市民の生活実態にたって、憲法に定める人権保障を
市民の生活実態にたって、憲法に定める人権保障を
大阪市人権問題職員研修と市民への人権啓発に対する
見解と提言


1998.9.22・大阪市役所労働組合同和行政終結推進委員会



1.はじめに
 私たちは、1994年11月1日付け機関紙「大阪市労組」で「同和行政の早期終結と市役所労働者の責務」と題した提言を大阪市役所部落問題研究会と連名で発表し、同和行政の早期終結を求める運動への共同を呼びかけました。その後の4年間の推移は、大阪市が市民の批判に押され「同和」を「人権」に置き換えたように、私たちの指摘や提言の正しさが一層鮮明になってきたといえます。
 そのひとつに「同和を人権にとらえなおす」(1998年3月市議会・磯村市長答弁)必要から大阪市は今年4月の「職制改正」で市民局に人権部を設置し、市民部人権啓発課を人権部人権啓発課に、市民局同和対策部を人権部同和対策室に、教育委員会事務局でも社会同和教育課を廃止し社会教育課人権教育推進係を新設するなど同和対策部門の名称変更を含めた機構改革をおこないました。さらに、大阪市は「人権問題職員研修基本方針」(1998年4月に策定)にそって「これまでの取り組みをさらに発展させ、差別のない、人権が尊重される『国際人権都市大阪』の実現のため、全ての職員が人権尊重を基調として業務を遂行するよう」に研修を強化しようとしています。それだけに、いま、なぜ人権教育・人権啓発なのか、また、なぜ同和研修から人権研修に変わったのか、人権尊重のために大阪市は何をなすべきか、そして市役所労働者の責務は何かが問われています。この提言は、そのための問題提起としてまとめました。市役所の各職場・関係諸団体での検討を呼びかけるものです。

2.同和行政終結に拍車のかかった提言後の4年間
(1) 同和行政終結へのたたかい・政府による「人権」への誘導・部落解放同盟の巻き返しの3つの力が自治体を舞台にせめぎあい
 1997年3月末をもって地域改善対策財政特別措置法(地対財特法)の特別対策は基本的に幕を閉じ、15事業に限定して、しかも経過的、激変緩和的な措置のため5年間の残務処理法として性格づけられました。部落解放同盟(解同)は、部落の温存・固定化・利権あさりの永続化をはかり、部落問題解決とまったく無縁な「部落解放基本法」制定を策動して大規模な政治的巻き返しを繰り広げてきました。しかし、そのねらいであった@永続的な同和対策事業の確立、A「差別の法規制」導入、B「同和啓発」の肥大化、特殊化、別格化、がつぎつぎに崩れていくものでした。法後のあり方となった残務処理法的な性格の法的措置、審議会法としての人権擁護施策推進法制定となって現れていますが、このいずれの法も「部落解放基本法」の内容とは大きくへだてた中身になっています。
 現在、28年間に及ぶ特別対策が終息するもとで、地方自治体を舞台に、政府・自民党がもくろむ同和問題を「人権一般」で再編成しようとする力、同和特権継続の力、さらに、わが国において人権侵害に苦しむ人びとの人権擁護を願う世論という、3つのベクトルが複雑に作用し、からみあっています。
 政府は、地域改善対策協議会意見具申(1984年6月)をもとに今後の重点課題として、「差別意識は根強く存在」しているとの認識にもとづき、いままでの同和教育・同和啓発を人権教育・人権啓発に「発展的に再編成」する方向性を打ち出しました。このもとで政府は、従来総務庁で実施してきた「同和」の啓発活動事業を法務省の人権思想の普及高揚事業に再構成し移管を行い、財団法人地域改善啓発センターを見直して、人権教育・啓発センターへ改組するなど、上からの誘導を開始しています。解同は、同和行政終結という新たな流れを押し止めるため、@同和特権に役立つ人権擁護施策推進法の運用、A「人権教育のための国連10年」の活用、Bすべての自治体への「差別撤廃条例」や「人権啓発条例」の押しつけ、という3つの手法を使って逆流を作りだそうとしています。
 他方、同和行政終結・一般行政移行をめざす完了宣言自治体が約100を数え、今年に入ってからも、50万都市東大阪市において、同和行政終結を公約に掲げた長尾淳三氏が市長に当選したほか、兵庫県黒田庄町、福岡県行橋市などで同和特権体制を打ち破るたたかいが、革新・民主の自治体建設運動をはじめ住民の運動として大きく前進し、各地で地殻変動が起きています。

(2) 新しい流れとなりつつある同和行政の終結
 同和行政をめぐる自治体の動向は、現在、3つの流れがあります。第1の流れは「完了宣言」に見られるような「同和行政終結、一般行政への移行」の方向性をとる自治体です(すでに、完了・終結している市町村をふくめ約100自治体)。第2の流れは、解同に迎合し、さまざまな名称のもとでの「差別撤廃条例」を制定した自治体です(約550自治体)。第3の流れは、政府や府県、近隣自治体の動向をみながら、受け身で対応している自治体です(約450自治体)。こうしたなかで、地方自治体レベルでも、速やかに同和行政を終結させる運動が、多くの住民を結集して、全国各地で展開されてきています。
 1969年に同和対策事業特別措置法が制定されて以来28年間、大阪市では約1兆1050億円、国及び全国の地方自治体では、約12兆円近い事業費が投じられ、今日では住宅・道路・施設などの環境改善や教育・就労の向上など同和地区をめぐる状況は大幅に改善され、住民自身の努力とあいまって、生活上にみられた周辺地域との格差もほぼ解消されたといえます。その結果、部落差別解消へ大きく前進し、社会的交流もすすんできました。
 現在、地区住民の間では、格差是正と国民融合の到達点を反映して「同和の特別扱いはやめてほしい」「当たり前の教育をしてほしい」などの声が高まっています。これまでの同和行政、同和教育と称するものが、封建時代につくられた旧「身分」による区分けを前提として、行政上・教育上、「同和地区」「同和地区関係者」を特定し別け隔てを行ってきたことが、部落に対する新たな偏見や問題をひきおこしていることへの地区住民のきびしい反発です。同和対策事業が終結すれば、行政は「同和地区」であるかないか、「同和地区の人間」であるかないかを特定する必要性はなくなります。必要性がないにもかかわらず、封建社会につくられた旧「身分」による国民の区分けを前提とした「同和啓発・研修」を同和対策事業の終結後も大々的に行うことは、憲法第14条「すべての国民は法のもとに平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」に違反する可能性さえ生まれます。
 しかし、28年間の同和行政は、他方で、多くの地方自治体が解同に屈服して「窓口一本化」を押しつけられ、行政の主体性と行政責任が放棄され、不当・不法な要求によって同和対策事業の種類と内容が肥大化し、いわゆる「逆差別」現象さえ生みだしてきました。そのうえ、同和対策事業が私利私欲や利権あさりの対象とされ、同和行政をめぐって「えせ同和行為」が横行するとともに、利権をめぐって運動団体の分裂や腐敗・堕落が進行しました。
 不公正・乱脈行政に終止符を打つ課題は、最近の奈良県三郷町の架空家屋買収事件にみられるように、過去の問題でなく、まさに今日的な課題であり、地方自治をめぐる重要な争点となっています。不公正・乱脈な行政運営は、その自治体の同和行政という単に一分野の課題にとどまるものでなく、その地域での地方自治と民主主義のあり方を大きく問いかける問題です。この克服は、地域での部落問題の解決と自治体の民主的な発展にとって絶対条件であり、その是正を求める世論と運動がさらに大きく前進することが求められています。

3.政府・自治体の人権啓発方針、人権施策の問題点
 人権擁護施策推進法、「国連人権教育の10年」、「差別撤廃条例」や「人権啓発条例」など、「人権」をキーワードとした国や地方自治体による教育・啓発が大きな問題となっています。
 政府は、自らの貧困な福祉、教育のとりくみから国民の目を逸らすために「心がけ」の教育と「人権啓発」を国連の名前を使って展開しようとしています。「人権啓発」を肥大化させ、「同和啓発」のように、半強制的に研修会や講演会に参加させ、国や自治体が国民の意識、思想に直接的に介入できる状態を法的に裏付け、行政権力による国民に対する思想統制さえ可能になるという危険な施策がもくろまれています。
(1) 社会的権力による人権侵害を隠蔽する危険性はらむ人権擁護施策推進法
 人権擁護施策推進法(人推法)は、同和行政の永続化を意図する「部落解放基本法」を求める圧力によって1997年3月25日に施行されましたが、そのままの形では貫徹できませんでした。それは、部落問題解決の到達段階が大きく進展している現状と、同和行政継続に対する国民の批判が、法文に「同和」の文言を挿入することを許さなかったこと。さらには立法過程での政治的妥協もあり、同和問題以外の人権問題をも含む「人権」という一般的表現に変化して成立したことに示されています。
 実際に国会審議において、人推法第1条の「不当な差別等」の「等とは何か」と問われて、政府は「具体的に申しますと、子供に対するいじめ、体罰、幼児や高齢者に対する虐待、プライバシー侵害等の様々な人権侵害を念頭においた」と答弁しているのです。しかし、人推法に基づいて設置され、1997年5月以降、月1回のペースで行われている人権擁護推進審議会の審議の動向をみるかぎり、大企業における男女差別や思想・信条による差別、今や深刻な社会問題となっている過労死問題は取り上げておらず、今後も取り上げる気配もうかがえません。このことは当初から懸念されたように、人推法の運用が、この法律を推進した勢力の目的と動機に強い影響を受けていることを示しています。人推法第2条(国の責務)では、「国は…人権尊重の理念に関する国民相互の理解を深めるための教育及び啓発に関する施策並びに人権が侵害された場合における被害者の救済に関する施策を推進する責務を有する」と明記しています。ここには「人権問題」のすべては「国民相互の理解」の不足から生じているのであり、「国民相互の理解」を深めれば、人権問題は解決可能だとの認識が示されています。しかし、過労死問題をとってみても、企業内で多発するのは、人推法がいうように「国民相互の理解」が足りないからではなく、大企業の極端なまでの利潤の追求が、一方で物言わぬ多数の労働者を生み出すために職場での自由と民主主義を封殺し、他方で、膨大な不払い残業と長時間過密労働を強いているからです。大企業において自由と民主主義が守られるかどうかは、人間らしく働く労働条件の獲得と表裏の関係にあります。今日の労働者、国民に対する人権侵害の実態とその原因のほとんどは、国の施策の不十分性、不備、放置にあり、大企業に対する及び腰の対応にあります。ここに目をつぶって、今日の人権問題の焦点が「私人間の問題」にあるかのようにすり替えることは、現実の人権侵害状況を意図的に隠蔽するものです。
 さきに述べたように人推法は、同和問題を契機にした法にちがいありませんが、この法には、立法の動機や背景と、立法内容とに乖離があります。部落問題解決の到達段階の現実と国民の同和特権に対するきびしい批判に応えるため、私たちは、人権擁護推進審議会に次の諸点を求めていきます。
 それは、第1に、人推法は、事実経過からいって「同和問題」が制定の契機になっているにしろ、法に明文化された目的や内容と明らかに乖離しており、この点から人権擁護推進施策審議会は、名実ともに人権全般について審議すべきです。第2に、同和問題はあくまで人権問題の一つであり、同審議会は、部落問題解決の到達点を踏まえ、委員の選任、審議内容、意見聴取などで、いっさい同和問題を特別扱いしないことです。第3に、同審議会は、人権問題を審議することから、審議会および議事録の公開など、国民の知る権利を最大限保障することです。
(2) 「人権教育のための国連10年」を活用した「人権教育」「人権啓発」の徹底
 1994年12月の国連総会では、1995年から2004年までの10年間を「人権教育のための国連10年」とすることが決議されました。これを受けて、政府は「人権教育のための国連10年」にかかわる施策について、関係行政機関相互の緊密な連携・協力を確保し、総合的かつ効果的な推進を図るため、1995年12月15日の閣議決定により、内閣に「人権教育のための国連10年推進本部」を設置しました。この推進本部は1996年12月6日に、「人権教育のための国連10年」に関する国内行動計画(中間まとめ)を公表しました。その後、推進本部では、中間まとめに対して各方面から寄せられた意見などを踏まえ、1997年7月4日、「人権教育のための国連10年」に関する国内行動計画を発表しました。
 また、「大阪府人権教育のための国連10年行動計画」では、人権啓発の手法として「効果的な人権教育を実施するため、これまで長年にわたり実施してきた同和教育における経験、成果を踏まえる」(解放新聞全国版1997年5月12日、同19日付)ことが前提とされています。具体的には「体験型、交流型、参加学習型といった手法」が構想され、従来の同和啓発の手法を人権教育・啓発の一般的手法として転用するとしています。大阪市もまた、誰もが個人として等しく尊重されるまちづくりをすすめ、差別のない、人権が尊重される「国際人権都市大阪」の実現を目標とする「大阪市人権教育のための国連10年行動計画」の具体化をあげ、「これまでの成果を踏まえ、人権の確立を目指す総合的な施策のなかに新たに再構築し市民一人一人の人権が尊重される国際人権都市大阪の実現を目指す」(『大阪市における今後の同和行政のあり方』1997年1月・大阪市同和対策推進協議会意見具申)と方向づけています。
 「人権教育」とは、「知識と技能の伝達及び態度の形成を通じ、人権という普遍的文化を構築するために行う研修、普及及び広報努力」であると、「人権教育のための国連10年」において定義されています。しかし、人権教育・人権啓発には、それを押し進めるうえでの考え方と方法論において、その前提となるものを明確にする必要があります。その前提とは、@国民にこそ教育権があること、A民主教育の徹底こそ、人権教育の保障であること、B子どもと教師の人権が保障されていることです。このことを抜きにして人権教育を押し進めるなら、人権教育の名による国民の教育権の侵害、子どもや教師の権利が侵害される問題を生み出しかねません。また、啓発の問題では、行政のおこなう啓発行為は、強制力の伴わない、国民の間で社会的合意が形成され、国民の主体的判断に委ねる範囲のもので、政治や社会運動と一線を画したものでなければなりません。

(3) 特権的な同和行政の継続と住民支配をすすめる
「差別撤廃条例」・「人権啓発条例」の自治体への押しつけ
 解同がすすめてきた部落の温存・固定化法である「部落解放基本法」制定が国政レベルで破綻をきたし、これを代替えさせるものとして自治体に圧力を加え、特権的な同和行政の継続をもくろむ「差別撤廃条例」「人権啓発条例」制定のための自治体への押しつけ策動が続いています。
 この「条例」制定の策動は、特権的な同和行政の継続にとどまらず、「住民の責務」規定などを悪用して、乱脈な同和行政や解同への批判を許さない、言論・表現の自由を圧殺しかねないねらいも含まれています。府下での泉佐野市などに続いて、大阪府でも横山知事が、1995年8月の解同との交渉以来、条例制定を「約束」し、1998年2月府議会に「人権条例」提案の準備を進めましたが、府民の世論と反対運動の高まりで提案を一旦は断念しました。しかし、今後とも執拗に具体化をはかる意向を示しています。大阪市でも、1998年3月議会で、磯村市長は「有識者による審議会で基本方針を取りまとめる」などと、「人権条例」制定への意図を表明し、担当の市民局長は「人権条例の検討は意義あること」と強調しています。
 大阪府が提案を準備した「人権条例」案は、情報公開、福祉施策、同和行政、都市計画などの分野で人権侵害がある、との指摘をしばしば受けている大阪府自身が「市民の間に『差別意識』がある」などと決めつけ、市民の「人権意識」を高揚させるため「啓発」を行い、しかも市民には自治体の施策に協力義務まで課すというものです。
 行政権力による「啓発」が、条例によって行政施策として執行され、しかも市民への「協力義務」規定とあわせて考えれば、行政が人権の旗手であり、市民は人権侵害者、もしくは未理解者と扱われるような関係が築かれます。行政はいかなる「人権意識」を、正しい、高いなどと評価するのでしょうか。「人権意識」という概念については、一律に定義しうるものではなく、ましてや、それに「高・低」の評価を行政が下すなどというのは不可能だといわねばなりません。これを可能だとする立場は、行政が「ある特定の見解」に立ち、その見解を公認する以外に成立しえないものだからです。突き詰めれば、人権についての多様な見解・価値観が存在することを否定することになるのは明らかです。
 わが国では、ほんの50年少し前まで国・行政が市民に対し「国のために死ぬことは美徳」と教育・啓発し、人の生き方、死に方まで行政が教えることを是としてきた歴史があります。その歴史を踏まえるなら、行政に「指導権」を認めるような「条例」や、職員を「施策の推進者」にしたてるための研修を認めることはできません。戦後生まれた日本国憲法は、基本的人権を不可侵の権利として宣言し、国や自治体に対してその擁護を義務づけています。したがって、行政は絶えず人権を侵犯しないよう自己点検する義務を有し、常に行政自身が国民の批判、点検を受ける立場にあるのです。

(4) 個人の内心に踏み込むことは重大な人権侵害行為
 「人権」がクローズアップされるもとで、人間の意識改革にかかわるとりくみが、すべて「啓発」という用語で、曖昧かつ恣意的に表現されています。「啓発」とは、「感受性に訴えて学習意欲を喚起させること」「学習意欲の醸成」「学習の手口を開いてやること」を指しますが、学習とは、もともと「学習意欲の喚起」や「学習の動機づけ」なしに成り立ちえないものであって、一体不可分なものを切り離し、前者を「啓発」と称して、学習と分離して把握すること自体が誤っています。人間が学習意欲を喚起されたり学習へ動機づけられるのは、「感受性」を通じてだけではありません。学習意欲を喚起されるか否か、動機づけられるか否かは、個々人の内面の問題であって、強要できるものではないし、強要された動機づけは真の動機づけにはなりません。
 現行憲法のもとでは、啓発の名のもとに、人の精神活動の内面にまで、外部からの権力をもって
抑圧したり、強制したりすることは許されません。啓発は、人の内心に直接働きかける営みであり、憲法第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」にてらして慎重に対応されなければなりません。また、啓発を法により推進することは行政の啓発行為に対して国民に法の名による協力を強要するもので許されません。およそ法はそれ自体、一定の事象に対する価値判断の表明としての意味を持っており、国民に対してその遵守を強制する力を持つものだからです。
 遅れた意識や偏見による部落問題に関わる人権侵害行為が急速に減少しているにもかかわらず、いまだに国民に「差別意識」があるなどと決めつけて、解同やそれに屈した行政当局による「同和啓発」のおしつけ、「確認・糾弾」など重大な人権侵害行為や教育介入が行われています。
 「確認・糾弾」は地対協意見具申でも「被糾弾者への人権への配慮に欠けたものとなる可能性を本来もっている」と批判しています。「差別糾弾」を理由に個人の内心に踏み込むことは重大な人権侵害であり、いかなる理由をつけようとも私的制裁行為は即刻是正すべき社会問題です。
 まして公務員が参加したり、市民の参加を強制・強要したりすることは行政自らが法秩序を破壊することにつながるゆゆしき問題です。にもかかわらず大阪市は「糾弾会への出席は行政側の情報収集の場であり」「話し合いの場であり、啓発の場」と容認しています。
 このような姿勢は、部落問題の解決に障害を持ち込む「エセ同和行為」と同じ役割を果たすもので、確認・糾弾という「凶器」をふりまわす運動団体に同調する行政こそが、部落問題の解決を遅らせている張本人であるといわなければなりません。
 すべての社会問題は歴史的条件の中で発生し、成長し、やがて消滅します。したがって、部落解放運動も、部落差別の解消とともに、それ自体の運動を不必要とし、その運動の担い手は歴史的使命を終えるのが論理的必然性です。現在の到達点は部落問題といえども解決を迎える時代にきていることを示しています。
(5) 人々のくらしと営みのなかでこそ人権保障を
 憲法が地方自治の本旨を掲げ、地方自治法第2条が「住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること」を掲げているのは、基本的人権が地域での人々のくらしと営みのなかでこそ具体的に保障されなければならないことを示しています。少なくない自治体が、さまざまな困難をかかえながらも住民のくらしと権利、地域の民主的振興のために努力している一方、政府の施策に追随して大企業奉仕と国民生活切捨て政策を推し進め、福祉、医療、教育など国民の生存権をはじめとする基本的人権を脅かしている自治体が存在するのも事実です。自治体として政府・財界の、これらの攻撃に反撃することなしに人権問題を「国民相互間」の問題に矮小化することは、「国民の権利」を空洞化させ、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(憲法第97条)である「社会権」を含む基本的人権に対する攻撃に手を貸すことになります。
 大阪市が真の意味で「国際人権都市大阪」をめざすのであれば、行政による教育・啓発で人権が守られる社会がつくられるという欺瞞的な態度は取るべきではありません。人権とは、ヒューマンライツという英語を訳しており、人間のライツ=人間の尊厳と呼ぶべきものです。大阪市は、1997年10月23日の大阪市職員昇任昇格差別裁判の和解に際して、市長名の文書で「原告らが大阪市に対し裁判に訴えざるを得なかった事情があったことに遺憾の意を表明」し、長年にわたって、原告の職員に対する昇任・昇格における差別を認め、謝意をあらわしました。また、同文書で「差別してはならないことを確認」し、「公正・公平な人事行政に努める」ことを約束しました。そして、1998年4月昇任人事で和解内容の履行の第一歩を踏み出したことを私たちは見識ある態度として評価しています。大阪市は、この和解で原告らの「人間の尊厳」を認めたように、なによりも人権は、国民が自由な意思でたたかってこそ獲得されるものであるという立場から、住民自治の原則を尊重し、文字どおり住民・国民が主人公として力を発揮するために、自治体として努力することが求められているのです。

4.同和行政終結のながれに逆行する大阪市の職員人権研修方針
 大阪市は、「21世紀に向けたまちづくりを進めるための行財政改革実施計画」の「活力ある職場の創造」「職員研修の充実」の項で「同和問題研修、人権問題研修等課題別研修の充実」を掲げています。これを受けて「大阪市人権問題職員研修基本方針」(1998年4月策定)では、世界人権宣言や国際人権規約などを引用しながら「人権尊重が今や世界的な潮流となっています」と続け、「わが国には同和問題をはじめとして在日外国人・障害者・高齢者・子どもの人権、女性問題…など多様な問題があり、新たな人権問題が発生しています」として、政府の「国民相互の理解」論を援用しつつ、同和問題中心の「差別問題」に矮小化しています。「基本方針」はさらに「正しく理解し、豊かな人権感覚を持ち得る職員研修の充実を図り」「市民の先頭に立って人権啓発を行い得るよう資質の向上を図る」などとしていますが、この発想の持つ危険性はすでに指摘したとおりです。人権問題職員研修が同和研修の焼き直しであると指摘せざる得ないことは、32年間に及ぶ大阪市の職員同和問題研修振り返ってみれば明らかです。

(1) 体系化された、これまでの職員同和問題研修の実態
 大阪市は、1966年から職員同和問題研修を始め、1974年には、「職員同和問題研修実施要綱」を策定し、1989年に同要綱を改定して、「職員の責務と役割」や各所属の研修推進体制を明確にするとともに、階層別・所属別研修をはじめとした研修リーダーの養成や小グループ討議方式の導入を図ってきました。
 大阪市の研修制度は「新採用者研修」に始まり、「事務講習会」「市政講座・技術講座」、新任係長級対象の「新任係長研修」、さらに「係長研修」「課長研修」「局部長研修」と職務にかかわってきめ細かな研修が体系化されていますが、そのカリキュラムに必ず同和問題の講義(講座)が組み込まれています。同和問題をテーマとした研修では、職員研修所が実施する各級管理職を対象とした同和問題研修や同和問題指導者研修、各局・区役所など所属単位で全職員を対象に行われる職員同和問題研修や人権問題職員研修などがあります。これらの研修が長年にわたって「年中行事」的に繰り返され、執拗に参加を求められることから「またか」という拒絶反応や、苦痛の声が講師、参加者双方から漏れ聞こえてきます。

(2)これまでの職員同和問題研修が持つ4つの問題点
 これまでの同和問題研修の講師の顔ぶれをみると外部講師は特定の運動団体の理論や方針を支持する学者・研究者が多く、以前は現役の運動団体幹部の講師起用も珍しくありませんでした。最近では1996年に環境事業局で、矢田事件で暴力行為により有罪判決を受け同局を退職した解同役員を講師に研修を行っています。内部講師の場合、ほとんどが受講者の直属の課長級という関係上、お互いに「当たり障りなく」研修を消化することが「不文律」にならざる得ません。これも環境事業局の例ですが、職員の任意団体のはずの「清掃部落問題研究会」役員がしばしば講師になるなどの事態も見受けられるなど多くの問題点をもっています。

@その時々の特定運動団体の課題、方針に追随したテーマを設定してきた
 差別落書きの多発した時期には運動団体が「施設管理者の同和研修のあり方を問う」として落書きの直接の被害者である事業所などに講師を派遣し、「差別落書き対処マニュアル」を徹底しており、大阪府の「興信所条例」制定時には身元調査問題を取り上げています。また、不公正乱脈な同和行政に対する批判が高まった時期には「ねたみ意識」問題を取り上げています。こうしたテーマ設定は特定運動団体への追随であると同時に、市民の声や批判を真摯に受けとめようとしないばかりか、逆に敵視ないし黙殺していく方向へと向かいかねません。他方、特定運動団体が反対、批判するテーマは実際上は取り上げられていません。総務庁「地域改善対策啓発推進指針」(1987年)や関連する通達などは、えせ同和行為の排除、確認・糾弾は私的制裁、違法行為など民間運動団体の行き過ぎた言動、差別の法規制の問題点を的確に指摘していますが、このような自治体職員として当然知っておくべき政府方針ですら取り上げていません。
A同和地区の実態や市役所内の身近な問題には触れない
 1990年に大阪市内の全同和地区を対象とした大規模な生活実態調査が実施され、詳細な報告書も発行されていますが、それらを教材にした研修が行われたという話は聞きません。報告書を目にした職員さえ極めて少ないようです。市内の同和地区の実態や30年間の同和行政の到達点、同和施策の効果を知りたいという職員も多いのですが、教材化されていません。また、当時の市民局同和対策部が把握した「差別事象」をとりあげて「当事者だけの問題ではなく自分自身の問題として」などと講義しながら、日常職場で起こっているさまざまな差別的実態は無視されています。
B人権問題を「差別」に矮小化している
 同和問題から人権問題にテーマを拡大し民族問題や障害者問題、女性問題などを取り上げても、それぞれの歴史性や基本的性格に対する認識を欠いたまま「差別」の側面が強調され、人権という言葉の意味する豊かな内容が「人権→差別→同和」へと意識の誘導が行われています。1998年6月に行われた事務講習会で解放会館館長が「大阪市の同和行政」という講義のなかで「人権は、なかでも同和問題が中心」「同和問題がわかれば女性問題・障害者問題もわかる。差別の根は同じ」としたうえで、「部落解放同盟は部落地名総鑑、部落解放基本法、狭山差別裁判を三大闘争としている」「確認会も昨年から今年にかけて4回、糾弾会もおこなっている」などと、運動団体の方針や運動そのものを「解説」し、人権問題を「差別」や「同和問題」に矮小化しています。
C研修における「自治」が保障されていない
 研修では発言の自由が保障され、たとえ「問題発言」が生じてもその場で解決し外へは持ち出さないという約束がなければ、講師がいくら「何でも気軽にしゃべって」と促しても「もの言えばくちびる寒し」の「お通夜」型研修にならざるを得ません。研修中に生じた問題はその場で参加者の自主的討論により解決し、外部へは一切持ち出さないという「研修自治」の確立が基本であると考えますが、職員同和問題研修の多くは参加者名簿を含めた「実施報告書」の提出が求められており、「研修自治」の形式的保障すらないのが現状です。

(3)職員同和問題研修をすすめてきた市当局の真のねらい
 これまですすめられてきた大阪市職員同和問題研修の真のねらいがどこにあるのか、間違った職員同和問題研修によって、自分の心の内に「差別意識」があるはずだと「脅迫」され続けると、身近にあるさまざまな不合理や不平等に目をつぶり、沈黙を守らざるを得なくなります。繰り返し行われる職員同和問題研修では建前だけがひとり歩きして、結果として「本音と建前を使い分ける能力を磨く場」となり、市当局は柔順な職員づくりという最大の意義を見いだすことになります。
 つまり、第1に、市民の人権意識を問題視し、市民を啓発することをおしすすめ、第2に、同和特別法失効後においても解同の意向が行政に反映されるようにし、第3に、「市民の自主活動」という名の下に、解同の糾弾路線を支援し、解同の意向にそって、職員を「人権指導者」に養成しようとしているのです。それは、解同の延命策のみでなく、これまでの同和行政は、「行政は市民より優位である、可能なかぎり市民のコントロールを受けない範囲として広げたい」という市当局の欲求に合致するものでした。市民に対しては、「差別をなくす行政だ」としてその不公正、乱脈の限りを尽くしながら批判をかわしてきた経験、市民の批判に対しても、同和問題に対する「知見の少なさゆえのねたみ意識だ」などと押さえ込んできた経験からも、これらを一般行政に広げるためには、大阪市自身が、「人権」を持ち出すことを好都合だと考えたといえるかも知れません。

5.職員の自主性、自己発達権を保障した研修、住民の学習権を保障する社会教育活動拡充のための提言
 私たちは、同和行政をめぐる終結への動きやこれまでの職員同和問題研修の問題点を指摘し、さらに新しい装いの人権施策についても危険性を指摘してきました。
 21世紀を人権尊重の時代にするためにも大阪市が行おうとしている「人権問題職員研修」や「人権啓発」に対して、私たちは次のように提案するものです。
(1) 同和研修延長型の職員研修をやめ、人権問題の現状認識、大阪市の人権施策の総括、今後の展望 についての自由な全庁的討論を先行的に徹底してすすめる
 人権という概念は、その時代の制約を受けつつ社会の進歩により変化するものです。より豊かな内実を求めて不断の努力を続けることが、現代に生きる者としての課題です。
 大阪市は、かつて「解同淀屋橋支部」などと呼ばれてきました。25年前、同和事業指導員の橋本浙子さんが矢田事件の「木下文書」を「差別」とは思えないと述べたことにより、市当局によって8ケ月間、研修名目で中央公会堂の地下などに「幽閉」された事件が起こりました。最近でも1997年7月5日に大阪市をよくする会が行った乱脈・不公正な同和行政の施設実態を直接視察する「同和行政ウオッチング」のとりくみに対して、大阪市市民局同和対策部(当時、いまの人権部)が、「ウオッチングという表現が興味本位で悪質である」「偏見を助長し、一般市民に誤った認識を与える」として「遺憾」を表明するなど公文書として予断と偏見をもった「見解」を出しています。
 今、大阪市に求められることは、同和問題を最重要課題に位置づけ、解同などの運動団体の方針の「解説」や人権問題の「差別意識」へのすりかえなど従来型の人権問題職員研修はやめるべきです。 そして、解同などの運動団体などとの癒着を根絶させ、正確な人権問題の現状認識と大阪市のこれまでの人権施策の総括、今後の展望を自由に討論することです。また、職員個々の多様な価値観を尊重し、対等の立場でさまざまな課題を話し合うことを基本とすべきです。

(2) 解同などの運動団体との癒着を断ち切ったのちに、国民の「生存権」保障の立場を明確にした人 権問題職員研修をすすめる  解同などの運動団体との癒着を断ち切ったのちに、国民の「生存権」保障の立場を明確にした人権問題職員研修が必要となります。大阪市において人権問題を研修テ−マにしていく場合、従来の「同和問題をはじめとして、障害者、女性、在日外国人をめぐる問題、高齢者問題、子どもの人権問題、プライバシーの保護など」(大阪市人権啓発基本方針−1995年)という、いわゆる「差別」問題で区分するのではなく、国や自治体が本来、国民・市民を保護してしかるべき諸制度の「改正」によって引き起こされた人権侵害(国家権力による生活権侵害)、また企業などの社会的権力による人権侵害を、「生存権」の直接的な侵害、「生きること」それ自体が保障されないという、現代日本の深刻な実態をできる限り総括的に浮きぼりにするようにしなければなりません。
 いのちと暮らしを守るために、国民の人権擁護のために、今、自治体労働者に何が求められているのか、この核心を本当にとりあげてこそ、真の人権問題職員研修といえます。そのため、さしあたって次の研修項目をとりあげるよう求めていきます。
@国民の平和的生存権は、憲法9条の戦争放棄(一切の戦力の不保持)に対応している。日米安保体制のもとで自衛隊の強化を続け、防衛費の圧力により社会保障費を抑制する自民党内閣の悪政によ って、国民の平和的生存権や、生存権が形骸化していることは明らかである。現代の国家は、その統治下にある国民および外国人の人権を無視して、いかなる内政・外交も展開できない。
 「平和都市宣言」をした大阪市として、直接職員に対して、平和の重要性を訴えるためのテーマ 設定を求める。
A憲法第25条の生存権は、生活保護など社会保障を義務とする国の責務に対応している。人権問題を語るには、憲法第25条の生存権そのものの具体的保障が行政に貫かれなければならない。「生存権」の直接的な侵害、増え続けるホームレス・テント生活者の放置など、「生きること」それ自体が保障されないという、日本のリアルな実態をとりあげ、国民の生活実態にたっての人権保障を問いかけるテーマの設定を求める。
B「職場に憲法なし」とか、「職場に自由と民主主義を」といわれて久しい。過労死、過労による自殺など大企業などをはじめとする社会的権力による人権問題についても、大いに研修のテーマとしてとりあげ、行政としてなにができるのかをフリーに討論できることも必要であり、研修項目に加えることが重要である。併せて市役所でも、過労死、在職死が増加しており、労働安全衛生などの課題も積極的に取り上げる必要がある。
Cダイオキシン、環境ホルモンというあらたな危険が指摘されている。また、地球温暖化も叫ばれている。新しい人権問題である環境問題は、社会と人権の現代的かかわりを、もっとも良くあらわしている研修テーマであり取り上げるべきものである。

(3) 自主的研究、研修は市役所労働者の権利、職員の研修権を保障する条件整備をはかる
 地方公務員法は、「職員には、その勤務能率の発揮及び増進のために、研修をうける機会をあたえなければならない」(第39条)としています。ところがこの研修は「任命権者がおこなうもの」(第39条2)として、自治体労働者の研修の主体性とその権利を否定するものとなっています。
 「勤務能率の発揮と増進」とは、本来、地方自治体が「住民の暮らしと権利を擁護する」ために、自治体労働者が「住民全体の奉仕者」としての職務を遂行するための能力向上をめざすものであり、「地方自治の本旨」の実現に役立つものでなければなりません。
 私たち自治体労働者は、自由で自主的な研究をおこなう権利、ならびにそのための必要な研修を受ける権利をもっています。そして、当局のおこなう「研修」は憲法と地方自治法の民主的原則にもとづいた、自治体労働者がその職務を遂行するための能力向上、人間的成長を保障するものでなければならないものだと考えています。あわせて、市役所労働者の自由で自主的な研究・研修活動への要求にこたえる労働組合としての職場自治研活動も強化しなければなりません。職場自治研活動のとりくみがされていない職場や停滞している職場では、逆に市当局がすすめる研修が、仕事のすすめ方への批判や不満と学習への意欲を持っている市役所労働者に受け入れられている実態もあるからです。
 市労組は、職員の自主的で、自由な発言を保障した「権利としての研修制度」を確立させるために次のとりくみをすすめます。
@市当局の「研修計画」の立案にあたって、労使協議事項として誠意を持って事前協議に応じるよう 求める。
A市当局のすすめる職員研修は、職員の内心の自由を犯すことのないよう、必要な諸条件の整備を行う。そして、業務能力を高めることをはじめ、職員の学習意欲の奨励につながる研修会の開催、行 政資料の作成・配布、などを積極的にすすめる。また、職員自らの職場と実生活に即する文化・教養を高めうるよう環境の醸成に努める。
B自主的な研修項目の選定・選択肢を増やし、研修・研究結果を自主的に発表できる場を確保し、職員の学習を励ましていくような「研修システム」の確立をはかる。
C職員の自己研修権を保障するために、図書資料の収集や調査研究の費用と時間を保障するなど基礎的な条件整備をすすめる。また、職員研修所の事業としてすすめている「自主研究グループ支援要 綱」(現行1グループ5万円)、「通信教育受講支援要綱」(3万円を限度として受講料の2分の1以内の額)に基づく助成金制度の拡充と予算の拡大を求め誰もが利用しやすいものにしていく。

(4) 全市職員と260万市民が手を携え「人間としての権利」の学習運動を発展させる
 人権問題職員研修の目標の1つに「職員一人ひとりが、日常業務を通じ、市民の先頭に立って人権啓発を行い得るよう資質の向上を図る」(大阪市人権問題職員研修基本方針)ことをあげています。
 つまり、職員が「市民の先頭に立って人権啓発を行う」ための人権問題職員研修と位置づけているのです。また、市民に対しても「人権啓発推進員の資質の向上を図り、指導・助言ができるオピニオン・リーダーとしての養成」を行い、「生涯学習大阪計画」の推進上の基本的視点の第一に、「『人権の尊重』を掲げ、『生涯学習都市・大阪』の実現に向けて取り組む」(いずれも『総合計画21推進のための中期指針』)こととしています。
 しかし、すでに繰り返し明らかにしているように、国・自治体などの公的機関は、「啓発」などいかなる名のもとにおいても、人間の内面の問題である意識に介入すべきでありません。社会教育法第3条は「国及び地方公共団体は、この法律及び他の法令の定めるところにより、社会教育の奨励に必要な施設の配置及び運営集会の開催、資料の作成、頒布その他の方法により、すべての国民があらゆる場所を利用して、自ら実際生活に即する文化的教養を高め得るような環境を醸成するように努めなければならない」としており、市民の内心の自由を犯すことなく、必要な諸条件の整備を行うことを求めているのであり、押しつけと支配を排しているのです。大阪市などの自治体の役割は、市民の自主的な学習活動のための条件整備であり、つぎのような事業に限定されるべきです。しかも、いずれの事業の実施にあたっても、たとえば部落問題など特定の問題だけを特殊化・別格化する扱いを行わず、公共機関としての中立性、公共性の原則などを堅持する必要があります。
@市民学習センター、区民センターなどの公共施設の拡充・整備をすすめ、自主的な学習・研究活動 の場として、すべての人に公平に開放されるようにする。
A自主的な学習・研究活動に対する財政的援助や機器類の提供・貸与を行うとともに、活用しうる基礎的な文献・資料と視聴覚教材の整備を行う。教材などの整備にあたっては、特定の見解や内容に偏らないように留意し、利用者の選択の自由が保障されなければならない。
B自主的な学習・研究活動にかかわる事項の広報・公聴・宣伝活動をすすめる。何を広報・公聴・宣伝活動するかについては、公平性を確保するため、客観的な選択基準を設定し公表する。
C広報・公聴・宣伝活動および情報提供の場としての講演会・映画会などを開催する。講演会などの開催にあたっても、特定の見解や内容に偏らないように注意し、割当動員や参加者受付名簿の作成など参加の自由を侵害するようなことはしてはならない。
D自主的な学習・研究団体からの要請にもとづく専門的・技術的指導・助言を行うが、これら自主的 団体に不当な統制を加えたり、その事業に干渉してはならない。
(5) 情報公開と職員の「参加と意見表明権」を求める運動をすすめる
 現在、政府・自治省などは「公務能率研究会報告」(第11次) に基づき「職員参加と自己実現活動」を重視するとしていますが、その基本は決定された政策を忠実に執行するための「職員参加」と「意見表明」に限定されたものです。大阪市も同様の姿勢を貫いています。
 自治労連が実施した「自治体職員の実態・ 意識調査」 (1994年6月)では、 職場での仕事の企画立案への参画について「全く参画していない」 が約33%を占め、 職場会議や情報提供に「差別がある」と答えた人が約24%を占めています。 これは自治体当局が職員の「参加と意見表明」を制度的に保障していないことを示しています。
 これまでの職員同和問題研修や市民向け啓発活動では、行政として当然明らかにすべき同和行政の全体像や到達段階、問題点などには一切触れていません。また、今年4月の大阪城天守閣の民間委託問題でも、観光資源としての集客能力や経営状況、博物館・研究施設としての機能についての情報を市民や関係者に示し、十分な討論を経たうえで結論を出すのが「開かれた行政」です。しかし、市民や研究者、職員が知り得て検討を求めた時には民間委託は決まったも同然でした。行政情報を公開し、事実にもとづいて意見を述べあうことが市民参加・職員参加の行政としての出発点であり、行政情報を「秘匿」したままでの職員研修や市民への働きかけは市当局の一方的な押しつけになるだけです。こうした状況に対して市労組は、地方自治体が住民の生活と権利を擁護するという本来の役割を果たすために、また、職員が自主的、主体的に市政への「参加と意見表明」を行うことを可能とするために、次のとりくみをすすめます。
@職員が、単なる行政組織の歯車として職務を遂行するだけでなく、「地方自治体の政策などの決定 にあたって、その企画、立案段階からその決定及び執行過程にあたっても積極的に意見を表明する とともに、行政運営のすべてにわたって参加する」権利の確立、つまり、行政への「参加と意見表明権」を求める運動をすすめる。
Aプライバシーの権利、知る権利、情報使用権・情報参加権など、情報民主主義の確立をめざし、市民運動との連携をつよめ、情報公開運動にもとりくむ。

6.むすびに
 世界人権宣言が国連で採択されてから50年目、憲法ができてからすでに半世紀以上たった今、「人権問題」とは何なのかを、あらためて問い直す必要があります。
 かつて、60年安保当時、私たちの先輩が部落のきわめて深刻な状態がなぜ存在するのかという問題を、社会問題としてとらえようとしたとき、まず、その実態・現実を自らが把握するというところから出発しました。部落の劣悪な実態を調査するなかで、これまで多くの教師や学生たちが、社会の矛盾に気づき、日本の民主主義の課題として部落解放のとりくみに参加し自らも成長していきました。
 1997年3月の同和特別法終結という大きな歴史の転換期を通過して、部落問題の解決をめざすとりくみは、いま、新しい局面を迎えています。国や自治体がおこなった実態調査結果によってもいくつかの分野で多少の格差があるとしても、かつての部落差別に起因する格差は是正され、「同和地区」に指定されていた地域の暮らしは、国民一般の暮らしとかわることのないものになってきています。21世紀に部落差別を持ちこさないというスローガンが、まさに現実のものとして、手の届くところまできています。
ひるがえって、現実の国民生活はどうでしょうか。90年代にはいってからの国民生活は一層深刻な事実が進行しているといわざるを得ません。企業の倒産件数や、完全失業率が「過去最高」を更新し続け、戦後最悪といわれる大不況が、国民生活を直撃しています。こうした事態に追い打ちをかけるように、消費税の増税、財政構造改革法の成立、医療制度・児童福祉法の改悪などが次々おこなわれ、国政そのものによって、国民のいのちと暮らしが破壊される事態が進行しています。参議院選挙の結果は、こうした国民の大きな怒りの反映でした。
 人権を国家や社会的権力と切り離したり、人権問題を道徳や個人の心がけの問題にしてしまおうとする議論については要注意です。国民の生活実態にたって、憲法に定める人権保障という観点がなくてはなりません。
 今、必要なことは、国民の「人権侵害実態」をリアルに把握し、問題の焦点・原因を明らかにしていくことにあります。そうすることによって、「人権を守る」ということは、どういうことなのかが深められるし、問題解決の方向も明確になるのではないでしょうか。

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